★ あがた森魚&Otoライヴ 〜足穂や雷蔵やマクロビオティックや〜 2007年11月10日(土) 開場 18:30 開演 19:00〜 出演 :あがた森魚(Vo.、A.G.) Oto(A.G.)田口昌由(B.) at 国分寺カフェスロー(府中市) Taruphology Tour TOKYOの後、田口は文字通り西へ駆け抜けた。演奏のみならず、メンバーを乗せてのツアードライバー…名古屋、大阪公演では新しいグルーヴをバンドと共有した。様々な出会い、両腕に溢れそうな収穫…「いまだ自分では総括出来ない」と言う程に、激動感動の余韻は続いている。 心躍る出来事のひとつ。田口が大ファンだった元※JAGATARAのOtoが、ステージ後に声をかけてくれたのだ。「田口君、今度一緒にライヴをやらない?」…尊敬してやまない「日本有数のミュージシャン」からの直々の誘い。よほど嬉しかったのだろう、その顛末を何度となく聴かされる。 10日後。早々にその夜がやってきた。「足穂や雷蔵や※マクロビオティックや」と題されたライヴ&トーク、場所は東京郊外のカフェスロー。2002年夏、Otoは9.11同時テロをきっかけに、日々の暮らしや音楽の発信を考え直している。地球環境が急激に劣化する中”「※サスティナブル・リビング”(持続可能な世界)」に向け、音楽を通じての発信スタンスを整えたいと、食を始め、様々な環境活動に取り組み、サスティナのメッカと言われるこの国分寺に拠点を移したという。 19:00前会場入。広々とレイアウトされた店内は、樹と土の香りが似合う気持のいい空間だ。貝殻やビーチグラスがあしらわれた白壁、棚にはフェアトレード製品やスロー系の書籍やCDが並び、お客さんも赤ちゃんを抱いた夫婦、年配の老夫婦などいつものライヴとは少し違う雰囲気。コーヒーやワインを手にくつろいでいる。開始前、ステージ前のモニターに自然農法の創始者である※福岡正信とあがた森魚が語りあう映像が映され(「もっちょむ2007.2月號」より)、あがた森魚とOtoが登場、第一部のトークへ。 あがたさんとマクロビオティックの関係は、60年代に遡る。助産婦だった母親※山縣良江の影響から若き日のあがたさんは、※桜沢如一の著作をよく読み、マクロビオティックを早期から意識していた。「稲垣足穂が親父なら、桜沢如一は親戚の叔父さんみたいなもの」…あがたさんが足穂や宮沢賢治のほか、如一にも影響を受けていたと初めて知る。とはいえ「でも俺は食についての固執は嫌だし、時には毒のあるものにも惹かれるんだ」…悪戯っぽく笑うあがたさんも何だか好ましい。 Otoさんの解説は決して押し付けることなく柔かい。ともすれば宗教的に見られがちなマクロビオティックの思想を、笑いを交え、”哲学”としてさりげなく進めるふたり。空気感がナチュラルなので「人と人、自然との気持ちの良い共存」を考えながらも肩の力が抜ける印象。気持よい余韻でトーク終了。 第二部はいよいよライヴ、ベースを抱えた田口が登場。フラットなステージに並ぶ男3人がカッコいい。「港のロキシー」が始まり、甦る夏の終わりの情景。店の空気が一変したのは、やはり歌の力だ。続いて「くるりくるり」。Otoさんと田口のコーラスが波に乗り始めた。♪Kukukukukukuつむじ風 Kukukukuku……もう居ない! ♪ 気持よくキマった! タルホロジーからの「白い翼」。前夜一度のリハーサルとは思えない、伸びやかな演奏で会場を惹き付けるOtoさん。さらにあがたさんが、ピアノの前で鍵盤を奏でながらのMCで「愛しの第 六惑星」。晩秋にふさわしく、美しいメロディをゆっくりと歌い上げる。 田口のリズムベースでタルホロジーからの「骨」が始まった。ツアーアレンジとは違う、弦をミュートしながらのベースイントロ、「Bone bone…」低い声からユニゾンのコーラスへの展開が楽しい。さらに、Otoさんとあがたさんが90年代に組んだバンド「雷蔵」からの「月食 」へ。初めて聴く綺麗な曲。印象的なコーラスリフレインから、音の波動がさざ波のように伝わっていく。この辺りにくると比較的おとなしかった会場もテーブル席でカウンターで、手で、肩で、足で、皆リズムに揺れている… そして、最高の盛り上がりとなった「SexiSexi」。田口は小人数での構成ということで、タルホロジーツアーとは異なる華やかなベースラインを選んだ。東京・名古屋・大阪とツアーをこなした自信が余裕に変わる。アラビックな曲調を自在に再現、見事なテクニックを披露。 アンコールは「あともう一回だけ」。何度聴いても魅力的な曲だが、あがたさんは決して毎回同じには歌わない。呼吸、タイミング、アレンジ…聴く方は嬉しいが、合わせる側はさぞや難しいだろう。しかしさすがの2人だ。Otoさんがギターで田口に問いかける。田口が全身でうなずく、あがたさんが2人を見る。3人のアクションと呼吸がぴたりと重なる。 お客さんが満足そうな笑顔で帰路につく頃、あがた森魚とOto、田口は楽器ケースを抱え、店向いのバス停に並んでいた。「正直、マクロビオティックはよく知らなかった」…照れながらカミングアウトした田口も「音楽を通じて出来ることは、想像以上に大きい」その可能性をよく知っている。「音楽がなくても誰も死にはしない。だけど、音楽がなければこの世は無だ」…あがた森魚が「キットキット!!遠く遠く!!」に込めた命のメッセージ。田口もまた9.11の後、「風アル日」という曲を書かずに居られなかった男なのだ。 田口やOto さんが目指す方向、あがたさんが歩む方向。表現やスタイルが重なり合う時も重なり合わない時も、その根底には同じ"水" が流れている。大切なことは歌に託せばいい……雨に煙る国分寺街道。男たちは彼方の世界を見上げている。 ※JAGATARA 1979年活動開始をしたロック・ファンクバンド。ヴォーカルの江戸アケミを中心に、当初は過激なパフォーマンスで名を馳せるが、1981年からのOtoの参加により、音楽面での飛躍的な向上に成功、1982年発売のアルバム『南蛮渡来』でその評価を確立する。1983年〜1985年の活動休止の後、1989年にメジャーデビューするも、1990年1月27日江戸の事故死でバンドは解散。現在でも不朽不滅のバンドとし、伝説を語り継がれている。 ※サスティナブル 環境問題を他人事にせず、自分の身近な問題として向き合うことを提唱し、地球環境を守りながら、経済や社会を健全に発展させていこうという考え方。 ※マクロビオティック 日本古来の玄米を主食、野菜や漬物や乾物などの副食を基本とし、独自の陰陽論を元に食材や調理法のバランスを考える食事法。 ※福岡正信 1913生まれ。自然農法の創始者。1988年にアジアのノーベル賞とも言われるインドの「マグサイサイ賞」を民間日本人として初受賞した。 ※山縣良江 あがた森魚の実母。屋久島の大自然の中で天然村助産院を開業し、無農薬の野菜によるマクロビオティックを早くから提唱した。著書に「聖なる産声」(たま出版) ※桜沢如一 1893年生まれ。思想家・食文化研究家。マクロビオティックの提唱者。京都府の貧しい武士の家庭に生まれる。貧窮の中で職を転々とする中で病気に苦しみ、石塚左玄の「食養生」に触れ健康を回復。1929年にパリに渡り、後に東洋思想の紹介者としてヨーロッパで名を馳せる。1937年に帰国後に書いた『食物だけで病気の癒る・新食養療法』がベストセラー。戦後は世界連邦運動に取り組む傍ら、インド・アフリカ・欧米など世界各地を訪ね、マクロビオティックの普及に注力した。 カフェスロー http://www.cafeslow.com/ #
by Mahiru1226
| 2007-11-13 13:44
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Writer's Profile
まふゆのまひる
東京出身。稲垣足穂と同日 この世に生を受けた旅人。 2007初夏、あるライヴシー ンをきっかけに田口と出会い、意気投合。その熱い音 楽性を心から応援。いっぽ うで漫画のような生態を観 察中。文章を生業としてい るが、このレポに限っては、ジンを飲みつつ気ままに綴り、その文責は負わない。 ※ knock-down-drag-out = 「倒れるまで戦う, 徹底的な」という意味のスラング。文中敬称略。 Copy right reserved. ※レポ及び写真の著作権は すべてmahiruが所有。 無断転載を禁ず。 Copyright(c) 2007. mahiru カテゴリ
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